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ずんずんのずんずん行こう!改!

日々のこころのあれこれじゃよ

祖母と十数年ぶりぐらいに仲直りした話

あれ…?前回のブログから10日以上経っているだと……?これは……?言い訳をするなら通勤途中で産気づいた妊婦を助けて、家に帰ったら断水されてて山から水汲んで来たりして大変だったんです。信じてください。ほんと水運ぶの重かった。

さてはて、今日も今日とて、人々に聞いた生きててよかった、人生が美しいと思った瞬間(ビューティフルモーメント)を書いていきたいと思います。ちょっといい話をこまめに書いていればディスカヴァー21さんあたりが出版化とかしてくれてとんとん拍子でドラマ化、映画化で、親父の家売って田園調布に家を建てる予定なんでよろしくお願いします。

さてはて、今日は私の話になりますが、なんつうか私の話は前提があれすぎて…かゆ…うま…。

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

私の家庭環境はなかなかハードでして、学生の頃、親父がDVでわーしてうぉー!しておふくろが物理的に家から蹴りだされてそのまま、ターンエンド!実家にリターン!してしまったんですよね。私は非常に繊細な心を持つオタクであったため、そんな親父と一緒に住むのが嫌で一時母方の祖母と住んでいたわけです。この祖母が心優しい祖母で……ということは全くなく

やっぱりね

毒親の源泉はもっとすごいのよ

すげえ嫌なババアなのよ

なんというか、こうすげえごうつくババアで人に金をたかることばかり考えてるババアなんですよ。その癖見栄っ張りで、すぐ金をばらまいて、人の悪口ばっかり言う口のへらねぇババアなんです。みんなおばあちゃんって優しいっていうけど…私のおばあちゃんっていったい…?という感じでして、まあ実家に住んでいた私は、大変コキ使われておりまして、家族分の家事はしなきゃいけないし金はせびられるし、昭和初期の女中のような生活で勉強する時間はないし、たまに祖母の家に来る母親(※母親は当時、仕事で違うところに住んでいたのです)に愚痴ったら、「居候なんだから仕方ないでしょ」と言われる始末……母さん、何も間違っていないんだけど…こう…やさしさゼロ?

結局、こんな生活嫌だ!ということで祖母と大喧嘩をしまして、父のおうちに戻った私でした。まあその後も大変つらかったんですが、それは置いといて、とにかく、うっぷんがたまりにたまった私は祖母の家を出たとき、

もうぜってぇこのババアとは死ぬまで合わないぞ。次会うときは葬式だ。

と心に固く誓い、それから本当にすべての連絡を絶ち、祖母と会わない日々が十数年続きました。

その間、私はずっと怒っていました。

搾取されたことにも怒っていましたし、優しくされなかったことに対しても怒っていました。人と違う自分の境遇に対しても、なんでこうなんだって、怒ってました。

いつもいつもババア早く死なねぇかな

と考えてました。私は大体の時間、心の隙間があれば家族に対しても怒ってたので、朝は目覚めるといつも気分が重く、なんとなく無気力で「あんな家族がいなければ」といつも考えていました。

でもなくならないんですよね。どんなに憎んでも苦しいんでも家族はいなくならないんです。

おばあちゃんは最低だって思っていたんですけれど、自分はちっとも悪くないって信じてるんですけれど、それでも毎日苦しいんですね。苦しいことがあったことも忘れようとするですが、記憶だけがなくなって痛みだけが残るんです。なので毎日よくわからない痛みの中に私は生きていました。

それでもあんなばあさんでも、小さい頃は楽しく遊んだ記憶とかがありまして、昔じいさんが生きていたころ、ばあさんとじいさんは都心に小さな店を持っていてその店はすごく狭くて、逆にそれが面白かったこととか、それでそこでばあさんと一緒に店番したこととか、お母さんには内緒だよって言ってばあさんが飴をくれたこととか、お祭りに連れてってくれたこととか、そういう楽しかった思い出が、またどうしても苦しくて、昔はあんなに楽しかったこともあったのに、どうしてこんなに今は苦しいんだろうって、苦しさの理由を考えることにも疲れ果ててしまいました。

目を背けてるものを直視することってすごく勇気がいることなんですね。本当に嫌でできるなら避けて通りたいんです。でも自分のためにやらなければならないことって絶対にあるんです。

というわけで、ある日私は意を決して、十数年連絡しなかったばあさんに電話をすることにしました。

電話をするとまず叔母がでました。叔母は知的障害で6歳ぐらいの知性しかないんですが、なんで私の家はこんなに設定がてんこ盛りなのかは私にもわかりません。

その叔母とも私は十数年話したことがなくて、電話を取った叔母に名前を呼ぶと、驚いたことにものすごくうれしそうな声を出して、祖母と電話を替わりました。

祖母が電話に出て、私の名前を呼んだ時点で私は泣き出しました。なぜ自分が泣いてるのかわけがわかりません。ただ十数年ぶりに聞いた祖母の声は昔よりずっと弱弱しくなっていて、これが自分が目を背けていた時間の代償なのかと思いました。

私は泣きながら、

「今まで連絡取らないでごめんね」

と謝りました。すると、ばあさんも電話越しで泣き始め、

「いいんだよ」

と一言だけ言いました。

私はその後もごめんねごめんねと言い、そのたびにばあさんもいいんだよと繰り返しました。

そうして、私は電話を切った後、また泣きました。

そしてその時、私は「間に合ったのだ」と思いました。

十数年逃げ続けていたけれど、ばあさんが死ぬ前に私は間に合ったのだと思いました。

私は十数年彼女を憎んで恨んでいたけれど、そんなこともばあさんのいいんだとよという一言で赦された気がしました。

 

というわけで私のビューティフルモーメントだったわけですが、この経験から、私は人生はどんな絶望あっても再生することができるんじゃないかなぁとか感じています。どんな苦しみも勇気をもって踏み出せば、抜け出すことができるのではないかと、みんなが心の奥底に必ず持っている喜びの光を取り戻す手伝いをするために今日もブログかいたりコーチングしてたりするわけです。

 

☆おしまい☆

 

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 ※コーチングってなに?と思われた方はこの記事をよんでみてね☆

 

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 ケイクスの連載は毎週日曜日に更新中☆もうすぐ最終回だよ☆

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