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日々のこころのあれこれじゃよ

誰かの目が気になってしまったときに読みたいおススメの本

こんにちは!ずんずんです。

 

私たちは誰でも「あれ…なんで自分、こんなところに居るんだろう?」と感じたことがあるのではないでしょうか。思い返せば、学生時代、みんながバカ騒ぎしているクラスの中で、大学の新入生歓迎会で、はじめて入った会社の飲み会で、周りの喧噪がやけに他人ごとに感じて、白けた気分になってしまった経験は誰にでもあるはずです。

私は中学生時代に中二病を発症して以来、ずっとそんな気分でした。自分がどこか遠い喪われた王国の末裔(?)みたいな気分で「お前らと私は違うんだ」と斜に構え、しかしながら王国の末裔でもなんでもなく、ただの一介の偏差値低めの学生でありました。

社会人になると、さすがに「選ばれし者」の感覚は減ってきましたが、今度は逆に人の目を怯えるようになりました。

会社で上司の目が、先輩の目が、気になってしょうがありません。

何をしても怒られて、「女の子なんだから出世したければミニスカを履かななきゃだめだよ」と笑われて、何が正しいか分からず、なんだかここが自分の居場所でないような気が常にしていました。

今ならわかるのですが、居場所とは自分で作るものです。努力してコミュニケーションをかさね、チームメイトに貢献することで築き上げていくものです。当時の私はただやみくもに言われたことに従い、怯えているだけでした。

こういう生活は疲れます。本当に疲れます。常に誰かに害されている気分になってしまうんですね。もちろん、誰も私を害そうと考えてはいませんが、私はただ被害者として自分が選んだはずの居場所で部外者の気持ちでいました。

きっと、私のような気持ちを経験した方、今まさに経験されている方がいらっしゃると思うんですね。今日はそんな方のために「人の目が気になったときに読みたいおススメの本」を紹介したいと思います。

 

 

■誰かと共に居ることの難しさ

 

まずはこちらの本をご紹介します。

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
 

 
この本は、京大の博士課程を出た臨床心理士が、悪戦苦闘の職探しの末、沖縄の精神科デイケア施設に職を得え、そのデイケア施設での日常と、メンバーさんとスタッフとの熱き友情物語です。

私もうつ病を2回やったのでわかるのですが、経験者としていうならば、、精神疾患は隣にあるような、ないような「自分がなったらどうしよう」と常に怯えるものでもあります。

デイケア施設とは、国の定義によれば「精神疾患を有するものの社会生活機能の回復を目的として個々の患者に応じたプログラムに従ってグループごとに治療する者もの」というものです。
つまりは様々な精神疾患をわずらう人がリハビリのために集まって、一日を過ごすのがデイケア施設になります。そういった施設は私たちにとっては全くの非日常ですが、そこに通う方にとっての日常ですよね。

主人公である著者は、そのデイケア施設「ただ居ること」が求められます。何をするわけでもなくそこに「居るだけ」を求められるのです。

会社で仕事が無い時って、とても居心地が悪いですよね。あまりの居心地の悪さに自分が「ここに居ていいのか?」と心の中で何度も自問自答するものです。

なぜデイケア施設で「ただ座っていること」が求められるのかは、本書を読んでもらうとして、まさに著者もその居心地の悪い体験を通じ、デイケアの真髄(?)を見出していきます。

この本はコミカルなストーリーでありますが、立派な学術書でもあります。私は、この本を読んでいつも集団の中で感じていた居心地の悪さに、ついに名前を見つけたような気がして、とてもうれしくなりました。

 

ちょっと引用してみましょう。

 

精神分析家のフェンダーン(手を握ることで有名な看護師シュヴィングと一緒に統合失調症の治療をしていた人だ)は「自我境界」という概念を提唱している。それは自分と外界、あるいは自分と他者、そして自分の意識と無意識の間につくられる境界膜のことだ。

自我境界って、実は超大事なものだ。自我境界がきちんとしているから、自分の考えと自分の考えを混濁しない。現実と空想を混濁しない。逆にいうと、自我境界が揺らいでしまうと、いろいろ面倒なことになる。例えば、幻聴。そのとき、内なる声と外の声が混線してしまっている。

自我境界があることで、僕らは誰かと一緒にいても自分でいられるのだ。それは「自分」を区切り自分を包み込み、自分を自分として保っておくための境界線だからだ。

 

私はここを読んで、私が集団で居心地の悪さを感じていたのは自分の境界膜のせいではないかと腹落ちした気がしました。

私の境界膜は、一応は存在するけれど、とんでもなく薄く、それが強い人にちょっとでも押されると破れてしまいそうで、それが誰かに自分というものが浸食される恐怖となり、常に怯えていたのではないか、とそんな気分になったのです。

結局、私のこの膜はどんどんと厚くなり、今では破れることすら感じさせず、しまいには人前でワークショップをしたりするようになったもんだから、人生は不思議なものです。

 

心理学に興味があってもなくても「誰かと共にいること」について考えたくなった時、ぜひ読んでもらいたい本です。

 

■誰かと共に居ることの大切さ

 

誰かと「居る」つらさについて考えたら、次は誰かと共に「居る」ことの大切さについて考えていきましょう。

 

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