ずんずんのずんずん行こう!改!

日々のこころのあれこれじゃよ

ゆるい虐待を考える

ちょっと前にTwitterで、毎日つらい女の子がカウンセリングを受けて普通の家庭に育ったと思ったのに虐待を受けてたらしいぞ~という漫画を読みまして、非常にいい漫画だな~って思ったんですが、それと同時に、

おや?私も同じことがあったような…

ということを思い出したのでした。

今を去ること三年前、シンガポールでヤングエグゼクティブになるべきコーチングをうけたわたくしは、なんの因果がトラウマのびっくり箱みたいな家庭問題と対決することになったのですが、

(その時の記事はこれ:お父さんに「私の事愛してますか」と聞けますか? - ずんずんのずんずん行こう!改!

自分の過去で家庭であった経験をべらべらしゃべっていたら、コーチングの後、コーチが

「こういった、虐待は日本では一般的なの?」

と非常に気の毒そうな顔をして聞いてきたのでした。

その時は、

「虐待?何言ってるんだ、HAHAHAHA」

とさっぱり相手が言ってることがわからず、笑って流してたんですが、今考えると、

やばい虐待受けてたわ

めっちゃ受けてたわ……。

みたいなことにやっと気づいたのでした。

 

大体、虐待ってなんか重いじゃないですか。

厚生労働省の児童虐待の定義ってタバコおしつけられたり性交渉を見せられたりとか

なんかハードじゃないですか。

だから、それに比べると「虐待受けてた?」とか言われても

「虐待?wwそんなもの受けてないよww」

ってなってしまうんですね。

でも世の中には、そんなお役所が定義するハードな虐待よりももっとゆるい虐待、

ゆる虐待

みたいなもの存在するんじゃないでしょうか。

例えば、何か失敗したら日常的に怒鳴られるとか、たたかれるとか、裸で外に追い出されるとか、女の子の場合、お父さんに怒鳴られたり、殴られた経験があったりしたら大変です。 

 

実は世の中のお父さんは、娘を怒鳴ったり殴ったりしたりしないらしいぞ?

 

 私が、なんでこんなことを言うかというと、私が親が子供をしつけるときに殴ったりしないということを知ったのが24歳ぐらいの時なんですね。遅い、やばい。

それを知ることになったきっかけは、同僚が3歳ぐらいのお子さんを連れてきた時のことです。この子は叫んだり、走り回ったりして、ちょっと行儀がよくなかったんですね。それを見てた私は、

「はて?なぜ、親は殴って子供を止めないんだ?」

 ってずーっと考えてたんですね。ちみの言いたいことはわかる、やばい。

そしてその時、雷鳴のように

「そうか!?もしかして、親は殴ってしつけとかは普通しないのか!?

ということに気づいたのです。

そう、私はそれまで24歳ぐらいまで親は子供を殴ることが普通だと思っていたのです…。

 

この「普通」という感覚が結構危険でして、本当は普通じゃない状態でずっと過ごしてきてつらかったのに、自分の心が苦しいって言っている信号に全く気付かないんですね。

 

これは私の話になるんですが、特に体罰が日常化してた環境で育った人は大変です。

 

まず、大きな音が怖い。

自分も大きな音を立てると過剰に謝ったりする人はいないでしょうか。

それは大きな音を立てたときに、親に怒鳴られて怖かった経験を今でも引きずっているからなんですね。

 

そして、自立心が強い。

体罰はやはり肉体へ直接被害がありますから「死への恐怖」がより強くなります。体罰を受けるとき、守ってくれる人がいなかったので、自分で自分を守らなきゃいけないという気持ちが強く、自立心が異常に強い大人になります。なぜここで「異常に強い」と入れたかというと、ちょっと自立に対する思いが強迫観念めいているからなんですね。誰かに頼ることなんてできません。なぜって、それは、助けを求めた時、拒絶されたりこれまた体罰を受けたりしたからなんですね……(涙)

 

さらには、思考が飛躍しやすい。

なんせ、もたもたしてると殴られますから、すぐ決めてすぐ行動します。その割には、仕事は結構雑で、いわゆる拙速なんですね。なぜなら、じっくり考える勇気なんてありません。(殴られるからね!)

私は親に「なんでそんなに突発的なんだ?」とよく言われてたんですけど、自分の中では「なにいってんだ???」みたいな感じて、はてなマークが飛んでしました。そうです、自分では思考が飛躍してることなんて、まったく気づいていなかったんです……。

 

さてはて、なんでこんなにことをだらだら書いたかと言いますと、今がなんか苦しくていつもつらいなら、それは「体罰を受けて育ったことが影響してるかもしれないよ」ということを、読んだ人に知ってほしいからなんです。

 

私のお友達は、おかあさんと口論になると、おかあさんがベルトを持ち出して、ベルトで鞭うってたらしいんですね。なんて恐ろしい……。その結果、大人になった今でも、人前で自分が意見を言おうとすると、理由もわからず恐ろしくなって突如吃音になってしまうらしいんです。その子は日常は非常に饒舌な子なのに、なぜ人前にでると吃音になってしまうのかずっと考えていたのですが、それは過去に受けた体罰にあったことに気づきました。

つまりは過去にあった「自分の意見をいって鞭打たれた」経験がトラウマとなって、その時の恐怖が潜在意識下で働き、何か意見をいう時に防衛反応が働いて恐怖心を感じるようにプログラムされちゃってるからなんですね。体罰、ダメ、ゼッタイ

 

こんなわけのわからない恐怖心や不安感に対する回復の手段として、カウンセリングは有効ですが、カウンセラーの方は時として断定的なので、私のような意固地な人間が「虐待されてたね?」だとか「依存傾向があるね」などと言われたら

「お前、何言ってるんだ?殺すぞ」

みたいな感じになるので、心がかたくなな人はコーチングがあってるのかもしれません……。

みんなは自分のあった方法を探してみてね!

といったところで今日は失礼します。

 

 

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 トラウマに関することが知りたかったらこの本がいいかもしれない。

 

 

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ケイクスの連載はあと三回!よんでね~。

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