人間誰しも、
「自分はなんて頭が悪いんだ」
とか
「なんてバカなんだ!」
と思ったことが1度はあると思う。いや、一度どころか、人によっては、上司につめられたり、何かミスしたりするたびに、毎日毎日、毎時間、毎秒、もしかしたら潜在意識に染み込むレベルで自分が「頭が悪い」と考えているかもしれない。もう、頭悪すぎ死にみ状態で、できるなら頭良くなりたいなぁなんて考えてはいるけれど具体的に何をしたらいいかわからない。
私たちは「頭が良い」ということのなんとなくのイメージは持っている。勉強ができたり、学歴が高かったり、受け答えが素早かったり……「賢い人」というイメージはだいたいこんなものだと思う。
では逆に「頭が悪い」というのは具体的にはどういうことなんだろうか?
自分たちを悩ます「頭の悪さ」について今日は考えてみたいと思う。
人間の頭の悪さ、愚かさというものは大体以下の4つぐらいに分類できるといおもう
①不正確な処理を行っている状態
②知りたくないと拒絶している状態
③混乱している状態
④賢さというものの表層的な価値を信じ込んでいる状態
一つ一つ見ていこう。
①不正確な処理を行っている状態
必要な情報収集や正確な処理(判断)が出来ていな状態をいう。この情報収集や処理が正確な人、そして記憶力が優れていると「勉強ができる」賢さと言える。学校の成績が良かった人は、正確性な処理能力を持った記憶力と継続力があった人に過ぎない。
②知りたくないと拒絶している状態
新しい知識や技術が世に出た時、多くの人は拒絶反応を示す。スマートフォンは難しそうだからと言って学ぼうとしない中高年、株ってなんだか怖そうといった、快不快で、新しい知識を拒む状態を言う。
③混乱している状態
混乱している状態も愚かさに含まれる。混乱している状態とは、心の中の葛藤を表し、受け入れがたい事象と心の中で戦っている状態を表す。混乱しているので、とっさの判断が出来ない。「こちらの方がいいような気がするけど、自分の好みとしてはあちらを選びたい、だがしかし上司は前者が好きかもしれない」とここまで明文化ができず、なんだか頭がぐちゃっとしており、あわあわしている状態である。
④賢さというものの表層的な価値を信じ込んでいる状態
最後に、賢さとは何だろうという話になる。もしかしたら私たちは、ただやみくもに「賢さ」というものを偶像崇拝してはいないだろうか。
この状態を、「賢さというものの表層的な価値を信じ込んでいる」愚かさという。
多くの人はこの状態にあると言える。
自分の情報収集能力が低いのか、処理能力が低いのか、内面の葛藤を整理しきれていないのか、新しい知識技術に心を開いていないのか、どの愚かさに当てはまるか考えたこともないのに自分を頭が悪いと思っていないだろうか。
そして、その具体化していない何やら恐ろしい「愚かさ」を頭の中で作り上げ、
私は頭が悪いから無理だ
だとか
私は頭が悪いからこんな仕打ちを受けて当然だ
といった思い込みを作り上げていないだろうか。こういった思い込みは行動を制限する。行動が狭くなると抑圧が生まれる。抑圧が生まれれば、自己批判が生まれ自己批判はまた抑圧と行動の制限を生み出す。終わらない永遠のループにはまり込むことになる。
まずは、ぼやけた賢さを偶像崇拝して、自分が頭が悪いという思い込み無意識の制限をつくるのをやめてみてはどうだろうか。現状を「頭が悪い」ということで言い訳することなく、自分の持っている愚かさとは一体なんなのか、向き合い、必要な行動を取ってみるのもいいのかもしれない。
といったところで今日は失礼します☆
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