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日々のこころのあれこれじゃよ

嫌な思い出がよみがえる時、自分にしてあげたいこと

生きていく上で、どうしても失敗や恥ずかしい思い、悔しい思いはしていくものですよね。積みあがっていく記憶を思い返すたびに

「あの時、こうしていればよかった」 
 
なんて考えてしまうのは仕方のないことです。
私も学生時代の事をよく思い出します。
 
私の学生時代を思い返すと「暗く頭も悪く無礼な学生」というのがピッタリです。
「何であんなことをやってしまったんだ」「何であんなことを言ってしまったんだ」と思い返すこともしばしばです。
そのために羞恥心にかられ、悶えてしまいます。
 
でもこんなことをしていると「色々もったいない」わけです。
なぜなら、過去のことを思い返す時、意識は全て「過去」に向かってしまって、現在の目の前にあることに集中していません。体は現在にいるのに、心は過去に囚われてしまっているわけです。
これを毎回「気持ちを切り替えていく」のは、中々骨が折れる作業です。
 
過去に囚われてしまった心をどうやって「現在」に連れ出してあげられるでしょうか?
 

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過去の辛い思い出を思い出すとき人の心には「本当はこうしたかった」という思いがどこかに隠れています。 
しかし、実際は過去に「やりたかったこと」は「やれなかったこと」なのです。
出来なかった理由は「お金」や「環境」のせいであったり、「自分の未熟さ」であったせいだったりと色々です。
特に「自分の未熟さ」がもたらした後悔は、心に刺さったまま中々抜けないのではないでしょうか。
 
私も外資系金融を鬱で辞めたことをずっと後悔していました。 
私は社内政治に負け、激務で、鬱病になってしまい外資系金融を辞めました。
その後、勤めた会社の仕事は面白くありません。。スタッフは注意されると仕事中に泣きだす体たらくです。
前の外資系金融と比べて「動物園かよここは!!!」と毎日キレておりました。
そんな時はいつも「前の会社を辞めるべきじゃなかった…」と後悔していました。
丸の内の一等地にあった素敵なあのビルで働いていたあたくし…そんな自分はもう戻ってきません。
雑居ビルの一室にある動物園でExcelをつまらなそうにいじる自分しかいないのです。
そう思うとがっかりしてしまいます。
『前の会社を辞めたのは、仕方がなかったんだよ。限界だったんだよ』
自分をそう慰めたとしても、現実はあまりにも辛すぎます。
自分を鬱になるまで追い込んだ上司や同僚のことを思い返しては、訳の分からない怒りにかられていたものでした。
しかし、もしかしたら私が一番怒っていたのは「自分自身」だったのかもしれません。
『もうちょっと上手くやれていれば』
『もうちょっと上司に好かれていれば』
『もうちょっとコミュニケーション能力があれば』
こんな現状は避けられたかもしれません。
自分の能力が足りなかったからこんな所にいるんだと思うと、ますます辛くなっていきます。
こんな「もうちょっと出来てれば」と考えては「いや、仕方なかったんだ」と自分の気持ちを押し込めることを繰り返していました。
その会社も辞め、シンガポールで働き始めてからはこんな気持ちはすっかり忘れていました。
ですが、コーチングを受けた時、コーチに
「今までの人生でどうしても許せない人の名前を10人書いてください」
と言われた時、私は最後の10人目に外資系金融に勤めていた時の上司の名前を書いていました。
そして、コーチに向かって
「If it weren't for this person, my life might have been much better.(この人がいなければ、自分の人生はもっと良くなっていたかもしれない)」
と言っていたのでした。
私はこんなことを言った自分に驚きました。
上司の名前を書いたことも驚きましたが、自分が心の奥底でそんな風に考えていたことにも驚きました。
コーチングを続けて分かったことは、このかつての上司への強い怒りは、結局は自分への怒りでした。
私は、上司への怒りと同じぐらい「無力だった自分」に対して怒っていたのです。
怒っていても何も楽しくないですよね。
怒りとは自分を傷つける行為でもあります。
私は、これは何とかしなければいけないと考え始めました。
 
実のところ、私は外資系金融で働いている自分が好きではありませんでした。
もちろん「丸の内のキラキラOL」という肩書は好きでしたが、一歩オフィスに入ってしまえばそこにいるのは人の目に怯えた自分です。 
上司の声に怯え、仕事を断ればクビになるんじゃないかと思って、無茶な量の仕事もこなしていました。
能力的にも量的にも自分のキャパシティを越えた毎日は、ドンドンと自分を疲弊させていきます。
断れない自分も、仕事ができない自分も嫌いでした。
そんな自分が嫌いだったからこそ、後悔しているのです。
 
私は「今だったらもっと上手くできる」と今の自分を起点にして、過去の自分を見ていることに気が付きました。 
「今の自分」が「過去の自分」を見て
「ふがいない!」
とずっと怒っているのです。
そのことに気づいた私は「自分が可哀そうだな」と思いました。
鬱になるまで働いていて、色々な人に仕事ができないと馬鹿にされて怒られて、そして、それから解放されたのに、今は自分に「ふがいない」と怒られているのです。
そう思うと「かわいそうだから、もう良いんじゃないか」と思いました。
自分の味方は自分しかいないのに、その自分が自分を責め続けているのです。
 
それから私は過去の嫌な記憶がフラッシュバックするたびに、当時の自分を心の中でぎゅっと抱きしめるイメージをしてみました。
 
どんなに辛くて、恥ずかしくても良いんだよ。
もう終わったことで、その時の自分はそれで良いんだよ。
 
と抱きしめながら当時の自分に言ってあげるのです。
これを繰り返しているとなんだか自分の中にあった黒い塊がゆっくりと解けていくような気がしました。
そして嫌なことを思い出すことも段々と減っていったのです。
 
過去の自分を抱きしめるのは自己受容の一つです。自己受容とは、できない自分をありのままに受け入れることです。
自己受容なくして自己肯定はあり得ません。
たまには許せない過去を手放して、ぎゅっと抱きしめてみましょう。
 
 

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